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2010年9月11日 (土)

9-11

早いものであれからもう9年。
今年の9−11は、まるで9年前のあの日のように最高に美しい青空が広がる、まさに秋晴れの一日になりました。
今年は、グラウンド・ゼロ至近でのイスラム教寺院建設をめぐって反対派賛成派が入り乱れぶつかりあい、デモが起ったりコーランを燃やすと騒ぐ人が出たり泣いたり怒ったりわめいたり……。色々と騒動が発生しました。
9−11のように様々な問題が積み重なった果てに起ってしまった大きな悲劇は、どんなに多くの人がどんなに力を尽くしても、全ての人びとにとって正しい答え、正しい場所にたどり着くのは本当に困難です。
ましてや何の関係もない私ごときがあれこれ物を言う立場にないことは百も承知なのですが、それでも毎日のようにそれぞれが信じる道をすすむためにそれぞれの主張を声高に唱えあい反論しあい、プラカードを掲げて何事かにむけてプロテストする人達を見ていると、なんだか切なくなってしまいます。

私でさえも、何年経ってもこの日を迎えるたびに、あの日この街で起った事をまるでつい昨日起った事のように鮮やかに思い出し、これでもういいなんていう気持ちにはおそらく誰一人たどり着けないんだと思わずにはいられません。
それでも、モスク寺院建立に関する討論番組で、一人娘を失ったお母さんのおっしゃった言葉が私の胸に深く響きました。

「あの日、私は娘を捜して瓦礫の中をかけずり回りました。警察官が『ここからすぐ出て行くように』と言って来たのですが、『私の娘を捜しているんです。どうか私に時間をください』とお願いしたんです。その時、その女性警察官は『……お気の毒ですが、あなたの娘さんを見つけるのは絶対に無理です。あきらめてここから立ち去ってください』と言いました。
翌日も翌々日も、私は毎日あの場所に行き、娘を捜し続けましたけれど、結局娘の髪の毛一本、洋服の切れ端ひとつ、私の手元に戻ってくることはありませんでした。
モスク建立に反対して運動をしている皆さん。あなた方の失った人びとへの気持ちと愛を、私も同じく愛し、感謝します。私の思いも哀しみもあなた方と共にあります。
ですが、私はモスクを必要としている人びとをも愛します。私は、許します。全てを許します。この国の中に、世界の誰かが国籍や宗教のせいでこの住所に住んではいけない、この住所に足を踏み入れてはいけない、という場所を作りたくないのです」

運動家でもなく政治家でもない、たった一人の母親が言ったこの言葉の尊さこそが、世界共通の言葉であるべきだと思いました。
誰にでも理解できる言葉を話す事は、実はとてもとても難しく、私などにはほとんど不可能だとすら思えますが、それでもこんな風に愛と勇気を持って生きて行きたいと世界の多くの人が願えば、世界はもう少しだけ平和になるのかもしれませんね。
ある日突然、理不尽な暴力で尊い命を奪われた人、その家族、友人、恋人。皆やり場の無い怒りと哀しみを、色々な形で消化したり昇華したり、胸の奥深くに抱いたままだったり、その思いとともに強く生きて行くために活動家に身を転じたり、忘れる為にその場を離れたり。残された人達は、深く果てしのない怒りと哀しみと辛さを抱えながら生きています。モスクを建立することが、そんな人達の思いを無視したり踏みにじる様な事なのであれば、できれば起って欲しくありませんが、また、モスクに行く人達の中にも同じく愛しい人を失った人達や、また無辜の民も多くいるはず。そんな出口の無い問題が発生した時、『許す』という選択肢が実はその人達にとっても心安らかな答えになる場合もあるのかもしれない、と、この一人のお母さんの言葉を聞いて感じました。
それでも、9年前信じられないぐらい巨大で真っ黒なワールドトレードセンターの瓦礫の山を間近に見た時、バチカンの出した『愛は憎しみより強く、何にも勝る』という声明が嘘っぱちだ、と感じた自分の気持ちもまた忘れられません。
近所の工場のトラックを借りて非番だったのに出動したポールが『もういい加減にしてくれ』と9−11特集番組を見るたびに言うんですが、これもまた現場に居た人だけが感じる一つの感情なのだなと思います。彼もまた、5人もの同僚を一度に失い、一週間、二週間、三週間と、どんなに探しても探しても、彼らのヘルメットも消防服もナンバープレート一つ見つけられなかった人の一人であり、そんな思いをしなかった私には計り知れない様々な思いを抱えてこの日を迎えているに違いありません。
つまり、やっぱり世界共通の答えも言葉も、やはりこの世にはまだ無いのだな、とつくづく思いつつ、どうか9年前のあの日わけもわからず命を奪われた方々と、大切な人達を失ってしまい、今もなおその思いに苦しんでいる方々が、心安らかにいられるようにと願うばかりです。
私も、何年たってもこの日を迎える度、あの日の朝はこうだったな、お昼はこうだった。夕方はこうだったかな、翌日は何をしたかな。と、せめてあのとき感じたあの気持ちやあの時の事を私は忘れないように、細かく記憶を辿り思い返すようにしています。
そうして記憶を辿っては少し涙を流したり、ちょっと放心状態になったり、また何事もなかったかのように明るく陽気で平和なマンハッタンを「ノンキだなあ」と眺めてみたりしつつ、お昼間の青空を見上げたり、夜の光の塔を眺めて今年も9−11が終わろうとしています。

Img_5491
↑9年前。まさしくこの場所に立ってこんな風にダウンタウンに目をやると、その先には黒煙しか見えませんでした。5番街の39丁目あたりです。

Img_5486
↑そして帰り道、またまさしくこの場所でダウンタウンを眺めていると、信じられないぐらい大勢の人達が、ただ黙ってダウンタウンから徒歩で家路を辿っているのに出会いました。皆無言で、聞こえてくるのは緊急車輛のサイレンだけ。哀しいのか恐いのか寂しいのか不安なのか。何もわからずただ非現実的な雰囲気の中で宙に浮いているような感じでした。

↓せめて毎年、この日はキレイに晴れるといいな。
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ニューヨーク」カテゴリの記事

コメント

私は工場で洗絨作業をしてました。作業の量が多いとかなりのストレスで大変です。いまだに。

投稿: kouy | 2010年9月13日 (月) 06時49分

おいらもあの日は特別でした。
朝4時にロンドンのトラブルで叩き起こされ、午前6時前からミッドタウンのオフィスに出社して働いてまして、朝9時ごろに第一報が入り、それから午後にかけて、WTCのオフィスから歩いてミッドタウンのオフィスに来た人達が隣の会議室に集まりだしました。
皆さん、誇りまみれで、背広もしわくちゃ。
その夜、近くのバーのカウンターで飲んでいたら、隣のアメリカ人のおばちゃんにえんえんと何やら相談され、それを黙って聞いてました。
帰宅してから、日本語チャンネルのニュースで初めて映像を見てショッキングでした。

おいらは今は、ワートレから徒歩ですぐのところに住んでますが、911のイベントのために2日前ぐらいから会場を作ってる人達の横を通って帰宅しますが、皆さん、厳正なムードです。

あまり言葉になりません。。

投稿: おいら@NY | 2010年9月13日 (月) 01時11分

今日のYahooのトピックにNYではなかったと思いますが、牧師がコーランを燃やしたと載っていました。そういうところからまた諍いが始まっていくのではないかと恐ろしく思います。
911事件のあった年に友人とNYへ旅行に行く計画を立てていました。あれこれ調べてもちろんWTCも訪れる予定でした。その頃母の体の調子が良くなかったのですが旅行には行けるだろうと思っていたら末期だと判明。
旅行どころではなく。
事件の報道は家のTVで見ました。1機が突っ込んだあとの画面を呆然と見ていると2機めがどんどん接近していって。

このお母さんのような気持ちをすべての人達が持てたなら。


投稿: みさ | 2010年9月12日 (日) 23時49分

あの日、自分の気持ちはある事情でとてもやるせないものでした。

それが、いきなりテレビの映像で吹っ飛んでしまいました。 

あり得ない事が起こっている。 

それが一番初めに思ったことでした。 


その時の自分をくっきりと覚えています。 

その翌々年、縁あって初めてニューヨークに行きました。 

まだ星条旗を掲げている店もありましたし、消防署の入り口にはその署で亡くなった人の写真がかけてありました。 


宗教と政治がどんなに違おうと、普通に生活している人の人生を奪ってしまうことはあってはいけない。 許されない。

この日が来るたび、いつも思います。 


投稿: たかたか | 2010年9月12日 (日) 23時17分

僕もあの日の事は忘れられません。
家で夜テレビを点けていたら、今は亡き筑紫哲也さんが突然出てきて特番に切り替わりました。うわっ何か嫌な胸騒ぎがしました。案の定、嫌なニュースでした。特番中に激突するシーンを生で見た時は、ヤバイよ、世界が壊れると本気で思いました。熱さと煙から逃れる為にビルから飛び降りる人が映った時は、胸がグーッと締め付けられました。

そう、リンコさんの著書「笑うデラックス」の最後で触れられてましたね。ナイスなニューヨーカーいいです!その一員でもあるリンコさんもナイスな気持ち持ってるんですね!改めて今日のブログで確信しました。
ありがとう!そして、もう二度とこんな事が起こらない世界を皆で築いていきたいですね!

投稿: しらす | 2010年9月12日 (日) 12時09分

「許す」という行為はそう簡単にはできない行為だと思います。そんな気持ちになれるまでどれほどの苦しみと葛藤があったことか・・・。この女性が安らかな日々を過ごされることを願ってやみません。

投稿: KIYO | 2010年9月12日 (日) 09時04分

あの時私は珍しく早く寝てたんです。
うちのTVは壊れて音が出ませんでした。
同僚(NY出身)が朝3時に電話して来て「TVをつけろ!とにかくTVをつけろ!!」と。
画像が出るまでに時間がかかり 音が出ないTVを見た時、同僚に「これ映画?」と聞きました。
時間が経って知っているバンドのメンバーが消防士で亡くなったのを知りました。
数年後、NYCへ行って博物館?でステージでは見せない彼の消防服姿の写真を見ました。

イスラム人やイスラム教が悪いのではありません。
イスラム原理主義の一部の人達が起こした凶行です。
キリスト教徒だって過激な宗派があると思います。
キリスト教では「隣人を愛せよ」と説いてます。
忘れてはいけない出来事ですが、いつまでも隣人を恨んでいては前に進めないと思うんです。

投稿: エドのママ | 2010年9月12日 (日) 07時02分

私も上手く言葉に表現出来ませんが、毎年9−11を迎えるたびに平和について考えます。
そしてリンコさんと同じく日本でニュース速報が流れたとき自分は何をしていたのか思い出します。
2001年は入社一年目でした。
当時勤めていた会社の社内放送で「被害に遭われた社員がいないか確認中です現地への電話がかかりにくくなっています」と繰り返し言ってたのを覚えてます。
あの日上司が慌ただしくアメリカ赴任している社員を確認していたのを覚えてます。
アメリカ以外の海外出張予定者も直ぐ中止になりました。
TVを見るたびに不安いっぱいでした。
ふと長崎や広島原爆を思い出し「どうしてこんな事が起きるの?」と胸が苦しかったです。

そして数年前初めてNYを訪れたときグラウンドゼロに行きました。
平和を願う気持ちと被害者に対して黙祷しました。
あれから9年経ち、アメリカは平和になったのか?戦争は終わったのか?と思います。
日本でも9−11を迎えニュースでオバマさんの演説を流れましたが、あの悲劇に関する思い(報道)が軽いように&他人事のように聞こえてなりません。

日本人もたくさん被害者がいて悲しみにくれました。

ゴメンなさい上手く言葉に出来なくて。
でもこの日を私は忘れない。それだけは言える。

投稿: まお | 2010年9月12日 (日) 05時57分

私も毎年9月11日になると、あの事件を思って複雑な気持ちになります。特に今年はコーラン焼却の件や、グラウンドゼロ近くのイスラミックセンター建設の件があって、アメリカの人々と同様私も一層複雑な思いです。
娘さんを亡くされたお母さんの言葉、素晴らしいのひとことです。なかなかいえることではないでしょう・・・リンコさんのおっしゃる通り、有力な政治家でもないひとりの善良な市民の言葉だからこそ、皆の心に響くのですね。
もういい加減にしてくれというポールさんの気持ちもよくわかります。現場に関わった人にしてみれば、やはりそう思うことでしょう・・・
確かに解決の糸口の見えない事件ではありますが。私達に出来るのは、いつまでもこの事件を忘れないことだけですね・・・
最上階の展望台から窓の外を眺めた際、ああマンハッタンは本当に島なんだと私に感動させてくれたあのワールドトレードセンターはもうありません。でも窓から眺めたマンハッタンの美しさだけは、永遠であることを信じて。

投稿: Maggie | 2010年9月12日 (日) 00時12分

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