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2010年12月 9日 (木)

John Lennon the tea maker

今日はジョン・レノンが自宅前で射殺されてから、丁度30年目です。
確か時間も夜おそく、彼とヨーコさんがレコーディングスタジオから自宅に戻った夜だったんじゃないかな。
いつもだったら中庭までタクシーで乗り付けていたのに、何故かこの夜に限って自宅前で車を降り、そこで殺されてしまいました。

彼が生きていたら今年10月に70歳になっていたんですね。
すっかりその存在を忘れてましたけど(ヒドい)彼と同い年のリンゴ・スターは今年の7月7日にすでに70歳になっていたんだなあ。
こうやって考えると、マイコーとかジョンとか、なんとなくじいさんになった姿が想像できない人って、そうなる前に居なくなっちゃうのかな、なんて思ったりします。(特にマイコーはじいさん姿想像するのムリ)

十年前までは毎年この日にはダコタハウス前や、ストロベリーフィールドに出向いていたんですがいつの間にかいかなくなってしまいました。
一つは『チョー寒いから』なんですが、もう一つの理由はこの日のストロベリーフィールドに行くと、どうも怪しい煙がもうもうと立ちこめていて、どうにも私の苦手な雰囲気がたちこめているからです。
ジョンが亡くなって20年目。つまり10年前に出向いたのが最後だったんですが、あの時は確か大声でなんかみんなで唄ったんです。Give peace a chanceとかHappy Xmasとか。
いかにもな感じでちょっとこれまた私の苦手な雰囲気だったんですけど、一応ベンチに立ってどうせやるならとことんやったる、って大声で歌いまくって帰ってきました。

今年のストロベリーフィールドの様子がテレビにうつってますけど、なんかものすごい盛り上がりようで、泣きながらインタビューに答えてる人とかもたくさんいます。
ああ。
いかなくて良かった。

で、今年はしんみりとこんな記事を読んでジョンを偲ぶことにしました。
ヨーコさんの書いた記事を翻訳してみましたので、皆さんも読んでくださいね。

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John Lennon the Tea Maker

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この日の夜半過ぎ、私とジョンはダコタハウスのキッチンにいました。
3匹の猫、サーシャ、ミーシャ、そしてシャロがお茶を煎れているジョンを見上げていました。
サーシャは純白、ミーシャは真っ黒、二匹ともとても美しく気品のあるペルシャ猫でした。一方、シャロはちょっとヌけた風貌でしたが、ジョンはシャロを特別に可愛がっていました。
『キミはなんとも味のある顔だねえシャロ』と言ってはシャロの頭を撫でたものでした。

「ヨーコ、ヨーコ、お茶を煎れるときはまずティーバッグをいれるんだよ。それから熱いお湯を注がなくちゃ」
ジョンはイギリス人として、常にお茶の達人としてふるまっていました。ですので、私はお茶を煎れるのはやめていつも彼に任せていたんです。真夜中に、静まりかえった家の中で、ジョンが煎れてくれた熱いお茶をすするのは、とても素敵なことでした。

とある夜のことです。
ジョンがこう言いながらやってきました。
「ミミ伯母さん(ジョンの育ての親)と話をしたんだけどね。ミミ伯母さんが言うには、まずお湯を注いで、それからティーバッグを煎れるのが本当だって。誓っても良いけど、ミミ伯母さんが僕に教えてくれたんだよ。まずティーバッグをいれて、それから熱いお湯を煎れなさいって。でも……」

「……ということは、私たちずーっと間違った煎れ方のお茶を飲んでたってこと?」
「う、うん……」

二人で大笑いしました。
それは、1980年のことでした。
そして、私たちのどちらも、これが一緒に過ごす最後の年になるなんて思ってもみませんでした。

もし彼が生きていれば、今年で彼は70歳になっていたはずです。
けれど、人々はもう彼がこの世にいるのかいないのかを問題にはしていません。ただただ彼を愛し、彼らの愛の中にジョンを抱き続けています。そして今日、世界中から、彼のたった40年という短い生涯で、どんなに多くのそして素晴らしいものを彼が与えてくれたかを感謝する言葉を受け取りました。

彼が私たちにくれた一番大切なものは、言葉ではなく行動です。彼は真実のみを信じ、そして常にそれを訴え続けていました。

私たちがジョンからもらった一番大切な事は、言葉ではなく行動でした。
彼のそんな行動や主張が、一部の人たちを怒らせたこともわかっています。ですが、それがジョンでした。彼はジョン・レノンで在り続けることしかできなかったのです。もし彼が生きていたなら、彼は今でも皆に声が届くよう、叫び続けていたことでしょう。真実こそが大切なのだと。何故なら、真実を知る事無く、今のこの世界の平和を得る事はできなかったからです。

今日という、彼が真実の探求者であり、伝道者であるが故に殺されてしまった日から数えて30年目のこの日に、私がただ思い出すのは、二人でお茶を飲みながら大笑いした夜のことです。

『ティーンエイジャーは帽子が落ちても大笑いする』ということわざがあります。
ですが今日では、多くのティーンエイジャー達は互いに怒り、哀しんでいるように思えます。ジョンと私はあの夜、ティーンエイジャーからはほど遠い年齢でしたが、私たちがただただ一緒に大笑いしていた普通のカップルだったことだけを今も鮮やかに思い出します。

ヨーコ・オノ・レノン
12.08.2010
Jyks
↑私もこんなカップルになりたいな(誰と?)。



Ufu14a1czcyylbymwfcx
↑今日のキアヌ。この人、ダコタのご近所さん。


↓うわー。キアヌうらやましい。私もダコタの近所に住みたい。
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ニューヨーク」カテゴリの記事

コメント

もう30年経つんですね・・・
当時バイト先のデパートのお歳暮配送センターで働いていた時、このニュースが飛び込んできました。
その時の空気は今でも忘れられません。

投稿: ロンドン野郎 | 2010年12月 9日 (木) 18時02分

私もニューヨークタイムズウェブ版で読みました。ホント毎年この日、ストロベリーフィールドはたいへんなことになっているようですが。ともあれ、ジョンの冥福を祈ります…

投稿: Maggie | 2010年12月 9日 (木) 01時13分

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